愛のソムリエ、PPPくまもんでございます。
京さて、11月でございます。
2019年、泣いても笑ってもあと二ヶ月。
「いつの話しやねん。」と言っていた
東京オリンピックも開幕まで、もう1年を切っております。
「お・も・て・な・し」のあと招致決定も、
2013年、9月の事なので、もう6年も前の事なんですね。
今日はオリンピック思い出話をいくつか。
まずは、1972年、ミュンヘンオリンピックの男子バレー。
大古、森田、横田のビッグ3。
セッターは178cmしかない猫田。
ドライブサーブ、一人時間差の、嶋岡。
そして、なんと言っても、松平監督。
準決勝のブルガリア戦。
相手のエースアタッカーはズラタノフ、195cm。
セットカウント0-2で負けているところで、
南と中村の、両ベテランを投入。
フルセットの大逆転劇。
決勝の東ドイツ戦より、印象深い。
因みに、金メダルへの最後のポイント。
シューマンのクイックはアウト~!
でした。
193cmの大古に抱きつく、松平監督。
その時のアナウンサーは、
「蝉の様です~。」
と本当に言ってました。
札幌冬季五輪の70m級ジャンプ。
笠谷、金野、青地。金銀胴独占。
アトランタ五輪サッカーのブラジル戦の勝利。
オウンゴール気味なんですが、あれは興奮したなぁ。
1996年ということは、もう23年前。中田、前園、城、川口。
篠原信一の疑惑の判定。
高橋キューちゃんの、サングラス投げつけ、金メダル。
北島康介の、「チョー気持ち良い。何も言えねぇ。」
体操内村の、「栄光の架け橋」
岩崎恭子の、「今まで生きてきた中で一番幸せ。」14歳なのに。
書き出してすぐ気付いたのですが、
これは、キリがないなと。
あの東京五輪の日本柔道、
神永がオランダのアントン・ヘーシンクに
破れて、もう55年。
子どもの頃見た、漫画
「柔道一直線」の冒頭部分は、
そこ、だったのを覚えています。
二段投げ、ライナー投げ、地獄車、車周作。
懐かしいな。今でも白川通りを走っていて
ラーメン屋「あかつき」を見ると
いつも、赤月旭を思い出すのは、きっと、
僕だけではないと思います。
足で弾くピアノ。
本当に懐かしいですね。
雄琴で働いて、
時々京都に遊びに行く。
木屋町や、先斗町で食べ歩きして、祇園で遊ぶ。
新福彩館のラーメン食べて、一乗寺でもラーメン食べる。
清水寺やら、銀閣寺やら、金閣寺。
伏見稲荷やら、下鴨神社やら、鴨川デルタやら、
宵山や、五山の送り火を楽しむ。
時々、琵琶湖ビーチで、水遊びして、
ゆっくり昼寝する。
貴方の人生に一ページに、
プルプルプレミアムでの
日々を過ごす。
とても、素敵な事じゃぁ
あーりませんか?
2019.11.01 パーマリンク